親の見守りに、カメラは置きたくなかった|隣の部屋の孤独死から考えた、もう一つの方法

50代からのAIプログラミング

「監視されてるみたいで、嫌」

離れて暮らす親に、見守りカメラを勧めたとき、そう言われた人は、多いと思う。

こちらは、心配でやっている。もしものとき、すぐ気づきたい。ただ、それだけだ。なのに、親は、いい顔をしない。へたをすると、少し、怒る。

よかれと思って差し出したものを、押し返される。あの、なんとも言えない気まずさ。

今日は、その「親がカメラを嫌がる気持ち」から、話を始めたい。

結論を先に言う。私は、親のその気持ちは、正しいと思っている。

親が見守りカメラを嫌がるのは、わがままじゃない

なぜ、親はカメラを嫌がるのか。

「機械が苦手だから」ではない。もっと、根っこの話だ。

カメラを部屋に置かれるということは、自分の暮らしが、四六時中、誰かに見られるということ。着替えも、昼寝も、ぼんやりテレビを見ている時間も。

たとえ、見ているのが実の子であっても――いや、実の子だからこそ、見られたくない姿がある。

親には、親の尊厳がある。長く一家の柱だった人ほど、「子に世話される側」になることへの、小さな抵抗がある。カメラは、その「世話される側に回った」という事実を、毎日、部屋の隅から突きつけてくる。

「監視されてるみたいで嫌」という言葉の奥には、たぶん、こういう気持ちがある。

「まだ、そこまで弱っていない」
「子どもに、心配される年寄りには、なりたくない」

これは、わがままじゃない。人としての、まっとうな感覚だ。

だから私は、親がカメラを嫌がるなら、その気持ちを、まず正しいものとして受け取るところから始めたい。

でも、「親が嫌がるから何もしない」のも、怖い

とはいえ、だ。

「親が嫌がるから、何もしない」で、本当にいいのか。そこには、別の不安が残る。

私には、忘れられない出来事がある。

少し前、私の住むマンションの、隣の部屋で、独居の方が亡くなった。孤独死だった。発見されたのは、一か月後だったと聞いた。

その方の後ろ姿を、私は、ドアの覗き穴から、何度か見ていた。挨拶を交わしたことも、あったかもしれない。それなのに、いなくなったことに、一か月、誰も気づかなかった。

あの一件以来、私の中で、何かが変わった。

「見守り」は、過保護でも、心配性でもない。離れて暮らす家族にとって、それは、ごく自然な備えだ。何もしないことの怖さを、私は、隣の部屋から教わってしまった。

つまり、私たちは、2つの気持ちの板挟みになっている。

親の尊厳は、守りたい。監視は、したくない。
でも、もしものときに、気づけないのは、怖い。

この板挟みを、どう抜けるか。それが、見守りの本当の問題だと思う。

【比較】親の見守りカメラ・センサー・緊急通報を、正直に整理する

では、世の中にどんな見守りの方法があるのか。代表的な3つを、いいところも、そうでないところも含めて、正直に並べてみる。

1. 見守りカメラ型

部屋にカメラを置いて、映像で様子を確認する。会話できるものもある。一番、状況がはっきり分かる。ただし、最大の弱点が、この記事の出発点そのものだ。多くの親が「監視されている」と感じて、嫌がる。

2. センサー型(家電・電球連動など)

人の動きや、ドアの開閉、電気の使用などを感知して、異常がないかを知らせる。カメラのように姿は映らないので、親の抵抗は少ない。電球の点灯で安否を知らせる、よくできた仕組みもある。ただ、分かるのは「動いているか、いないか」までで、親と心が通うわけではない。

3. 緊急通報型(ボタン・駆けつけ)

ボタンを押すと、家族や警備会社に通報が飛ぶ。もしものときには、力強い。ただ、これは「倒れたあと」のための備えだ。普段の、何でもない日のつながりは、ここにはない。

こうして並べると、それぞれに役割があって、どれが正解、という話ではないのが分かる。実際、重い介護が必要なら、駆けつけ型のサービスは、心強い選択肢だ。

ただ、3つを見比べて、私は、あることに気づいた。

カメラ型は、つながれるが、「監視」になる。
センサー型と緊急通報型は、監視にならないが、「つながり」がない。

「監視せずに、つながる」。その両方を満たすものが、ちょうど、すっぽり抜けていた。

そもそも「見守り」と「監視」は、違うはずだ

ここで、一度、言葉に立ち止まりたい。

私たちは、「見守り」と「監視」を、ごちゃ混ぜにして使っている。でも、この2つは、本当は、まったく違うものだ。

  • 監視とは:相手の行動を見張り、中身をぜんぶ把握しようとすること。
  • 見守りとは:相手が元気でいることを、そっと、気にかけること。

カメラが嫌がられるのは、それが「見守り」の顔をした「監視」だからだ。映像で、暮らしの中身まで見えてしまう。親が嫌がるのは、当たり前だった。

だったら、逆に考えればいい。

中身は、見ない。把握も、しない。ただ、「今日も元気に過ごしていた」という事実だけが、そっと分かる。そういう見守りが、作れないか。

監視と見守りを、はっきり分ける。そこに、板挟みを抜ける道があるはずだと考えた。

カメラでもセンサーでもない、第3の方法「会話で見守る」

私がたどり着いたのは、「会話」で見守る、という方法だった。

カメラで姿を見るのでも、センサーで動きを測るのでもない。親が、誰かと、普通に話す。その「話した」という事実だけを、家族が、そっと受け取る。

話し相手は、AIだ。

親は、スマホに向かって、孫に話しかけるように、気軽に話す。「写真の撮り方が分からない」「最近、膝が痛くてね」。中身は、何でもいい。そして、その会話の中身は、家族には届かない。家族に届くのは、週に一度、「今週、5日お話しされていました」という、それだけだ。

監視には、ならない。中身は見ないから。
でも、つながりは、ある。話している事実が、分かるから。

板挟みの、ちょうど真ん中に、こういう道があった。

正直に書くと、これは、私が自分で作ったサービスの話だ。「まごのTEC」という。隣の部屋の孤独死をきっかけに、「監視しない見守り」を、どうしても形にしたくて、作った。

ここで押し売りをするつもりはない。ただ、もし、あなたが今、親のカメラ問題で板挟みになっているなら、「会話で見守る」という選択肢も、世の中にはあるのだと、知っておいてほしい。それだけで、今日は十分だ。

もし、この見守りの形に興味が湧いたら

「監視しない見守り」が、具体的にどんなものか。気になった方は、下のページに、仕組みを詳しく書いてある。

最初の30日は、無料で試せるようにした。実績もレビューもまだ無い、生まれたばかりのサービスに、いきなりお金を払ってほしいとは、言えなかったからだ。まず親御さんが本当に使うか、自分の目で確かめてから、決めてもらえればいい。

家族の手が、すぐには届かない場所に

離れて暮らす親のことを、心配しない子どもは、いない。

でも、その心配が、カメラという形になった瞬間、親には「監視」として届いてしまう。心配の気持ちと、伝わり方の間に、ずれがある。

そのずれを、埋めたかった。心配を、監視にしないで、親に届ける方法を。

家族の手が、すぐには届かない場所がある。離れて暮らすとは、そういうことだ。その手の届かない隙間に、そっと別の手を伸ばせるなら、伸ばしたい。私が作っているのは、たぶん、そういうものだ。

逃げない🔥


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