頑張らなくても前に進める。50代が陥る「ゆるめる勇気」を忘れた夜へ
「もう少しだけ頑張ろう」って、気づけばいつも自分に言ってる。
けど最近、少しだけ疲れてない?
特に50代は、**見栄と責任感**で体が固まりがちだ。
今夜は、この私が**どん底で取り戻した“ゆるめる勇気”**の話をしよう。
止まれない夜がある。そして、不安で眠れない
家に帰っても、頭の中は会社のメールと、**将来の資金計画**で動いている。
「あと何年働ける?」「定年後の俺は何をしている?」
若い頃にはなかった、**形容しがたい不安**が胸のあたりに居座っている。
ふと時計を見たら、もう日付が変わってる。眠いのに、目が冴えてる。
「まだやれるはず」「もう少しだけ頑張って、この不安を消し去りたい」。
そんな言葉で、自分を追い立ててしまう。
これは努力ではなく、**単なる焦りだ**と気づいたのは、つい最近のことだ。
がんばりすぎる人ほど、優しい。そして心が固まる
ほんとはサボりたいわけじゃない。サボると不安に負ける気がする。
誰かに迷惑をかけたくない、ちゃんとしていたい。
その「優しさ」と「責任感」が強いほど、自分を後回しにしてしまうんだ。
でもね、
がんばりすぎる人ほど、本当はとても優しいんだと思う。
誰かを守りたい、ちゃんと生きたい。その気持ちがあるから、無理してでも動けてしまう。
だけど、無理を続けると
“やさしさ”が“義務”に変わり、
やがて心も体も、**まるで岩のように固まってしまう。**
(私は一度、本当に動けなくなった。)
“ゆるめる”って、サボることじゃない。「動くための準備」だ
昔の私は「休む=止まる」だと思ってた。サボったら置いていかれる、と。
でも今はちょっと違う気がする。
休むって、立ち止まることじゃなく、**“動き出すための準備”**なんだ。
たとえば私は、疲れた時こそ**車で海を見に行く**。ほんの10分でもいい。
波の音だけを聞きながら、コーヒーを飲む。
呼吸を整えるように、少しずつ、自分の体と心に溜まった力を抜いていく。
すると、視界がひらけてくる。
頑張らなくても、ちゃんと前に進めるようになる。
力が抜けた状態の方が、プログラミングや新しいアイディアもスッと入ってくるんだ。
がんばらない日のすすめ。そして、次のアクションへ
1日くらい、何もしなくたっていい。
人生はマラソンだから、息をつく時間がいる。
歩いても、立ち止まっても、前を向いていれば進んでる。
「焦りは未来からの呼びかけ」でも書いたけど、
未来はちゃんと、待ってくれる。だから今日は、立ち止まっても大丈夫だ。
心が軽くなったら、再スタートしよう。
「ゆるめる勇気」を取り戻したら、次は「小さな一歩を踏み出す勇気」だ。
50代からプログラミングやAIを始めた私でもできた、**具体的な再起動の方法**をあなたにもお伝えしたい。


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