6月、7月、8月で刈り取れなかったら限界|結果が伴わない恐怖と、それでもヤルしかない理由

50代からのAIプログラミング

スプリントが終わって3日経った。走り切った満足感を、暗くて重い霧のようなものが包み隠そうとしている。「結果が伴わない恐怖」とでも呼ぼうか。90日を本気で走った。フォロワーは目標の半分にも届かず、収益は累計300円。データを出して「届かなかったけど、走った時間は無駄じゃない」と書いた自分は、嘘をついていない。本気でそう思っていた。3日経った今、その確信の陰で、生活の不安が息を潜め、こっちを見ている。残された時間は、自分が思っているより、ずっと短いかもしれない。

6月、7月、8月で刈り取れなかったら

Day90の記事を書いた夜、私はこう書いた。「種は蒔き終わった。これから収穫の段階に入る」と。

あの言葉に嘘はない。今もそう思っている。90日かけて、種は確かに蒔いた。期待値投資型のダート王。階段状に育てた夢診断シリーズ。SEOが効き始めたブログ。NOTEへの直接導線。次の事業の構想。種は芽を出そうとしている。

でも、種を蒔いただけでは食えない。芽が出て、実がついて、収穫されて、初めて生活になる。

6月、7月、8月。この3か月で、蒔いた種がどれだけ実を結ぶか。これが、私の人生の現実的な分岐点だと、3日かけて気づいた。

この3か月で刈り取れなかったら、たぶん、もう限界だ。脱サラして10ヶ月、貯金は確実に減ってきている。スプリント期間中は「種を蒔く」が中心で、走るほうに集中できた。今度は走ることに加えて、刈り取りも同時にやらないといけない。プレッシャーの質が、変わる。

「限界」という言葉が、3日前までの私の語彙にはなかった。今、机の上に座っている。

▶ 前回の記事:Day90、走り切った|90日前の宣言と、届かなかった数字と、確かに残ったもの

変わったものは、確かにあった

恐怖を書いた後で、別のことも書いておきたい。これも、本当のことだ。

90日で、変わったものは確かにあった。

2ヶ月間ゼロだったNOTEで、初めて100円が売れた。その人が1週間後に200円も買ってくれた。高評価ボタンを押してくれた。これは、90日前の私が経験したことのない出来事だった。

ダート王は、当たる予想を出すだけのアプリから、「買わない判断」を機械化した仕組みに進化した。1,604レースのバックテストでROI 124.8%が出た。3月のマイナス2万1,460円を眺めて呆然としていた頃の私とは、立っている場所が違う。

ブログを20本以上書いた。SEOで読まれる記事を1本特定できた。書きながら自分を整理する筋肉が、確実に育った。

3者のAIを使い分けて、組織のように動かせるようになった。1人の56歳が、AIという同僚を3人持って働く形が、自分の中で確立してきた。

これらは、成長だ。間違いなく、成長だ。

でも、成長と収益は、別の話だった。

成長したのに、収益が追いつかない

ここに、今、私が直面している矛盾がある。

自分自身の能力は、90日で確実に育った。技術もついた。視野も広がった。書く力も伸びた。商品設計の感覚も身についた。

それなのに、収益は累計300円だ。

「能力が育てば、収益はついてくる」と、独立する前は信じていた。脱サラ前、転職市場でも、いつもそう言われた。「実力さえあれば、仕事はあとからついてくる」。社会人25年やって、ずっとそう聞かされてきた。

独立して10ヶ月、その言葉が必ずしも真実じゃないと、骨身で知った。能力と収益は、別の回路で動いている。能力を育てる時間と、収益を作る時間は、別に必要だ。両方やる必要がある。両方やらないと、片足で立っているような不安定さが、ずっと続く。

90日で、能力の足を太くした。次の90日で、収益の足を太くする必要がある。同じ熱量で、別の方向に走る必要がある。

これが、たぶん、3日かけて気づいたことだ。

▶ あわせて読みたい:100円が売れた|2ヶ月間ゼロだった有料NOTEに、初めて「購入されました」が来た日

他人の干渉から、解放されたかっただけだ

脱サラした理由を、もう一度言葉にしておく。

私は、他人の干渉や制約から解放されたかっただけだ。会社の評価制度、上司の機嫌、組織の論理、定時という枠組み、これらから自由になりたかった。自分の時間を、自分で使いたかった。自分のやりたいことに、自分の時間を投下したかった。

そして、独立した。確かに自由になった。誰にも縛られない。誰にも評価されない。誰にも怒られない。

でも、半年経った頃から、別の現実が見えてきた。

自由になったけど、結局、人と関わって、仕事をもらわないと、生きていけない。

会社員時代は、会社が顧客を連れてきてくれた。会社が信用を担保してくれた。会社の名刺で、知らない人とも会えた。

独立すると、全部、自分の名前でやらないといけない。信用も、ゼロから積む。顧客も、自分で見つける。商品も、自分で売る。結局、人と関わらないと何も始まらない。

これは、最初に想像していた「自由」と、少しズレている。

抑圧から逃げて、別の抑圧の中にいる、と言うのは少し違う。でも、「他人との関わりを絶っては生きていけない」という現実は、確かに新しい制約だった。これに気づいた時、ちょっと萎えた。

ポジティブ疲れ、なのだろうか

もう一つ、最近感じる事がある。これがポジティブ疲れなのだろうか。

最近ネットで「ポジティブ疲れ」というワードを目にする。見出しだけ見て、中身までは読んでいない人も多いと思う。私もそうだった。「あぁ、そういう感覚もあるんだな」と通り過ぎていた。それが今、自分の中に近い感覚として現れている気がする。

独立してから、毎日「前向きに」を自分に課してきた。ブログで「逃げない🔥」と書き、Xで「諦めない」と発信し、毎朝コーヒーを淹れながら「今日も走る」と決めてきた。これは、たぶん必要なことだった。前向きでなければ、独立は続けられない。

でも、ずっと前向きでいるのは、疲れる。

たまに「もう、いいや」と言いたくなる瞬間がある。「気力が湧かない」と感じる時がある。それを「いや、走らなきゃ」と鞭打つ。鞭打つ回数が増えてくる。自分にムチを打つこと自体が疲労に変わる。

これが、ポジティブ疲れなのだろうか。

多くの「前向きな自己啓発」は、この疲労を語らない。「ポジティブでいれば全部うまくいく」と説く。私はもう、そういう言葉を信じていない。前向きさは大事だ。でも、前向きさを維持するエネルギーには、限界がある。エネルギーが切れた時、どうするか。これを語らない自己啓発を、私は信用していない。

それでも、ヤルしかないんだ

ここまで、3日分の恐怖と、自由の中の制約と、ポジティブ疲れを書いてきた。読みながら「で、結局、何?」と思った人もいるかもしれない。

言いたい事は、それでも、ヤルしかないってことだ。

こんなに揺れていても、私は、今日も机に向かっている。明日も机に向かう。それしか、ない。

会社員に戻りたいかと言われたら、戻りたくない。あの抑圧の中に、もう一度自分を入れたくない。私を支えてくれているパートナーに、いつか恩返しをしたい。この2つが、私の動機の核にある。ならば、進むしかない。

6月、7月、8月。この3か月で刈り取れなかったら限界、という現実は、変わらない。でも、限界が来るかどうかは、まだ分からない。3か月走ってみないと、分からない。今、机の上で立ち上がろうとしている「限界」という言葉が、3か月後にどうなっているか、見届けるしかない。

ヤルしかない。今日も。明日も。3か月後の自分が「あの時、ヤルしかないと思って動いた」と笑って振り返られるように、毎日積み上げるしかない。

諦めて、抑圧されて、我慢して生きて、死んでいきたくはない。これが、56歳の私の本心だ。残された時間、実は圧倒的に短い。だからこそ、自分で選んだ道は、自力で走り切りたい。途中で限界が来ても、走った時間だけは、誰にも奪われない。

今日も書く。明日も書く。実を結ぶか否か、3か月後に答え合わせをする。それまでは、走り続ける。

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